【戦国御伽草紙:雪国のかぐや姫】

番外編 昇天香炉





 元黒脛巾の一員であり、現在に使える猫は、女であるから見ても美人だ。
 初めて会ったときも綺麗な人だと思った。
 しかも、ただ綺麗なだけではない。ただ綺麗なのであれば、そこらにある人形と一緒。しかし、猫は綺麗な上に色気がある。
 猫が十人の男に迫れば、九人は確実に落ちるだろう。
 もちろん、くのいちには色を使った任務もあるため、任務をできるだけ成功させる為に女を磨くのは必要なことだ。
 人にはそれぞれ魅力があるとよく言うが、それでも、羨ましいものは羨ましい。

「ねえ、猫。何か付けてる?」

 部屋に入って来た猫にイキナリの質問。
 猫はのその行動に眉をひそめる。

「何よ、いきなり」
「いや、いつもいい香りがするなって思って」

 極珠に、ではあるのだが、猫が傍にくると、ふわっといい香りがすることがある。
 現代であれば、それはシャンプーの香りということが多いのだが、この時代にシャンプーなどあるはずもない。
 かといって、この時代に香水があったかといえば、は知らない。それに、の知っている香水のような香りでもない。

「香り?……ああ、珠に香を焚いてるからよ」
「お香?」

 言われてやっと納得した。
 現代でお香をする人はそれほどいない。
 いても、部屋の芳香剤代わりといった使い方が殆どだろう。

「そうよ。香を焚いた部屋に着物を置いて香りを移すのよ」
「へえー」

 は正直に感心する。服に香りを移すなどと考えたこともなかった。

「ああ、あんたにいい物あげるわ」

 そういって出て行った猫の表情はどこか楽しそうで、誰かを彷彿とさせるものであった。
 程なくして猫は一つの香炉を持って戻ってきた。

「これ、あげるわ。香もあげるから、興味あるなら使ってみなさい」
「いいの? 高い物なんじゃ……」
「いいわよ。それほど高いものじゃないし」

 香炉は綺麗な細工がしてあるが、かなり小さい。

「一つだけ注意があるから」

 さっそく何か香を焚こうかと思っていたのだが、なにやら注意があるらしい。
 香の使い方自体知らないから、ここは素直に聞いておかなければいけない。

「いい。その香炉で香を焚く時は政宗様の所へ行く時だけよ」
「へ?」
「わかったわよね」
「……はい……」

 は意味が分からなかった。何故政宗のところに行く時だけなのだろう。
 疑問はあるが、猫の有無も言わさぬ言葉に思わず頷いてしまった。
 固まったままでいると、猫は持っていた香をセットし、焚き始める。
 そして、部屋を出て行こうとした。

「すぐ戻ってくるわ。戻ってくる時にはいい感じになってると思うから」

 が止めるのも聞かず、部屋をでる。
 香炉からはふわっと甘い香りがしている。
 甘いといっても、甘ったるいものではない。ほのかに匂い立つ香の香りは、の心も落ち着ける。
 暫く、香炉を見ていたが、段々と香からの煙も無くなり、火も消えた。

「はい、じゃあ政宗様のとこに行っといで」

 いつの間にか部屋に来た猫にせかされて、は政宗の部屋に、向かう。
 特に用はないのだが、部屋を追い出されてしまったし、今は政宗も休憩の時間だと思う。
 しかし、不思議なことに、部屋に着くまでの間に誰にも会わなかった。いつもなら誰かに必ず会うはずなのだが……。
 などと考えている間に、とうとう政宗の部屋の前まで来てしまった。
 本当に何も用はない。しかも、香を焚いて、そのあと政宗のところに来たと云うのは、なんだか気恥ずかしい、と同時に何も気づいてくれなかったらどうしようか、という不安もある。
 元々鋭い性質である政宗の事だから、気付かないということはないと思うが……。

「ま、政宗……入っていい?」

 そろーっと襖を開ける。少しだけ開けた襖から覗き込めば、政宗がこちらを見ていた。

「別に構わねぇぜ。入れよ」

 は素直に中に入り、傍まで寄って座る。
 気づくかな、気づかないかな、とドキドキしながら政宗を見つめる。

「珍しいな、この時間に俺のトコに…………」

 そこまで、言って政宗は言葉を切った。

「政宗?」
「……ああ、悪ぃ。何でもねぇ」

 何でもないと言ってもそうは見えない。
 政宗はと視線を合わそうとせず、畳ばかりみているし、どこか上の空のようにも見える。
 言葉を切ったのは、香を着けていることに気づいたからかと思ったが、そうでもないらしい。
 香に対する言葉がなく、あまつさえ、視線を逸らされれば、流石に傷つくし、ムカつく。

「政宗、私何かした?」

 少し怒ったように、けれども、その声には不安だという気持ちを隠せないまま、政宗の顔を覗きこんだ。





 正直今の状況はヤバイと政宗は感じていた。
 言葉を途中で切ってしまった上に、視線をあからさまに外してしまった。絶対を傷つけたし、自身の声は怒っている。
 が、ヤバイのはを怒らせてしまったことではなく、今のこの状況だ。
 襖の閉まった密室に、二人っきり。この状況がヤバイのだ。
 この部屋に二人っきりになることは日常茶飯事だし、今更のことだ。だが、今は確実に理性が持たないかもしれない。
 今だってギリギリ、やっとのことで保っているのだ。
 頼むから、そうやって下から俺を見上げるのは止めてくれと言いたい。
 が傍に座り、視線をそちらにやった時、目眩がした。例えではなく、本当に目眩がしたのだ。
 病気なんかの目眩ではない、意識が飛びそうになる目眩ではなく、理性が飛びそうになる種類の目眩だ。
 再び視線を合わせれば、自分は何をするか分からない。
 だから、視線を外したのだが、は覗き込もうとする。

「それ以上近づくな……」

 思わず出てしまった言葉。はっとして、を見遣れば、彼女は泣きそうになっていた。

「違うっ、そういう意味で言ったんじゃねぇっ!」

 あわてて否定するも、の目には涙が溜まっている。
 自分自身の不器用さ加減に反吐がでる。
 消して泣かせたいわけじゃないのに、できれば笑顔が見たいのに、政宗はを泣かせることが多い。
 先ほどよりも、幾分かは衝動は収まった。要は頭が冷えてきたのだが、それでも、まだ理性で押さえ込んでいる状態ではある。

「じゃあ、どういう意味?」

 涙を溜めて、こちらを睨んでいるのだが、その状態では政宗を煽るだけにしか見えない。
 自身は何が起こっているのか全く分かっていないだろうから、本人は到って普通の行動をとっていたつもりだろう。
 まさか、政宗が理性と本能の間で戦っているとは思うまい。

「アンタ、さっきまで香を焚いてただろ?」
「うん」

 いきなりの話の飛躍にか、はきょとんとして答える。
 それを聞き、政宗はやはりと思った。最初にが傍に来た時良い香りがした。
 そして、その後にあの目眩。何がどうなってるのか、予想が着く。

「香炉は誰から貰った?」
「猫、にだけど……」
「……Holly Cat……」(あの女っ!)
「ま、政宗……」

 政宗の不穏な空気を感じ取ったのか、は恐る恐る尋ねる。

「アンタが使った香炉は多分、『昇天香炉』だ」
「『昇天香炉』?」
「ああ、本当は戦ん時に使うんだがな。その香炉を使えば、敵も味方も関係なく、周りにいる者に目眩を起させる。戦場じゃ有利になる物には違いねぇが……」

 そこまで、言うとも何となく分かったらしい。

「えっと……ってことは、今私はその香炉を使ったわけで、政宗は目眩がして大変だ……てこと」
「Yes. 普通の目眩ならまだマシだったんだがな……」
「普通じゃない目眩って……」
「意識じゃなく、理性が飛びそうだ」

 言葉の意味を理解した途端、真っ赤になって、少し下がった。

「え、だって、戦で使う物でしょ! なのに、何で!」
「俺が聞きてえよ。……そんなに警戒するな、何もするつもりはねぇよ」

 溜息を吐きながら言うが、はまだ警戒しているようだ。
 だが、恐々といった様子で、先ほどの位置まで戻った。

「ホ、ホントに……?」

 が少し顔を上げた瞬間、ふわっと香の香りが舞った。
 流石に2度目の目眩に、しかも、不意打ちで、政宗の理性は飛び去った。
 悪い、と思ったのが早かったのか、行動の方が早かったのか、どちらが先かは分からない。
 だが、香が舞ったとほぼ同時に、の唇に噛み着く様に己のそれと合わせた。
 2回、3回……と角度を変えて、何度も口付ける。
 口の端から漏れる吐息はどちらの物かは分からない。
 我に返り、唇を離した時すと、最初は酸欠で息が上がっていたが、の思考回路も戻り、何をされたか認識したらしく彼女の顔は段々と赤になっていった。

「政宗の、バカっ!」

 そして、捨て台詞を残し、パタパタと部屋を走りさった。
 当分は顔を合わせてくれないかもしれないと思いつつ、苦笑する。
 まずは、から香炉を遠ざけなければいけない。
 が香を焚く度に、これでは政宗の身が持たない、というか、きつくてしょうがない。
 だが、同時に、香炉なしでも、自分の限界が来る日は近いのかもしれないとも思った。


終 戻る

卯月 静 (07/12/13)