冬待ち人





(……寒っ)
 夜中、ふいに眠りから覚めたは思わぬ寒さにぶるりと身を震わせた。無意識に毛布の中に頭を隠したのは暖を求める本能で、広がる温もりにしばしの安息を覚えるも結果は束の間の安らぎに終わった。
 ……息苦しい。
 結局は再び顔を出すことを余儀なくされ、渋々ながらも毛布の隙間から顔を覗かせれば、冷えた空気が容赦なく肌を包み込んで寝ぼけ眼を否応無しにこじ開けさせた。
 せっかく気持ちよく寝てたというのに。
 一度目を開けば瞬きの分だけ頭の中は覚醒していき、冴えてしまった眠気を惜しめば自然と溜め息をこぼして高い天井を仰ぎ見る。
「……?」
 見つめて数秒。は二度の瞬きの後に斜めに首を捻らせた。
 いつもであればわずかな月明かりが室内を照らしているのに今日はそれが見られない。おや、と疑問を浮かべて窓のほうを見れば、暗闇に紛れ、模様の見えなくなったカーテンが光の反射も音も感じさせずに今夜の天気を物語っている。
 外は曇りか、それとも雨か。様子が気になって寒さを押しのけるように身を起こし、手近にあった厚手のローブに手早く袖を通す。ベッドから足を抜き出して冷えているであろう床に下ろせば、予想していたとはいえ思った以上の底冷えに思わず背中が大きく震え上がった。
(こんなに冷えるなんて、雪でも降る?)
 曇りでも雨でもなく、思い浮かんだのは冬特有の白化粧。その季節まではもう少し時間があると思っていたのに、今年は幾分か早い訪れなのだろうか。つい先日、町のおばちゃん達と今年の雪はいつ頃かしらねぇなんて話をしたばかりだというのに、その通りであればとんだフライングである。
 手を擦り合わせながら窓際に歩み寄り、重いカーテンに手を掛ければさらに冷たい空気が指先にまとわり付いた。予想に反して窓の外はただの曇り空だったが、雪が降ると言われれば納得できそうな空模様でもある。
(いかにも降りそうなのに)
 そのまま誘われるように窓を開ければ、途端に襲い掛かった猛烈な冷気に思わず声が飛び出した。
「わっ、寒……っ」
 睡眠で高められた体温など一気に持っていかれそうだ。自らを掻き抱くように両腕を組んで身を縮こまらせれば幾分かの熱を保てた気がするが、所詮はその場しのぎである。
 これは、本当に雪が降りそうだ。
 空を見上げれば真っ暗なはずの空気に吐いた息が白く映ったような気がした。
 それほど、今夜は澄んだ冷たさがあたり一面に広がっている。
(降れば今年の初雪かぁ)
 秋と冬の境目に立っている、そんなような気がしての気分は子供のように無邪気に高まった。雪が降れば冬の始まり、降らなくても秋の続きを見つめることが出来るのだから、どちらも楽しめるお得感は寒さに耐え切れなくなるまでは続けてみてもいいと思える。
 だから、意識は一点して暗い夜空に注がれた。
 当然、背後に近づく気配になんて気付くわけもない。
「――……こら、風邪ひくぞ?」
「ひゃっ!?」
 唐突に背後から抱き締められて、冷えた耳元に温かい息と声が落とされては思わず小さな悲鳴を上げてしまった。体に絡んだ腕の束縛が振り返ることを叶えてくれなかったが、こんなことをする人間は当然ながら一人しか存在しない。
「ディーノ!」
 いつの間に部屋に入ってきたのだろうか。寝るときも目が覚めたときも、確かに隣に恋人の気配はなかったはずなのに。
「びっくりしたぁ。お帰りなさい。いつ帰ったの?」
「んー、たった今」
 髪や耳にキスを落としながら包み込むように抱き締められる。背中に伝わるディーノの温度で外の気温をじわじわと感じとるが、それもすぐにの温度と同化して一つになった。
「外、寒かった?」
「かなりな。……じゃなく、駄目だろ、。こんな寒いのにそんな格好でいたら」
「はぁい。ごめんなさい」
「……あんま思ってないだろ」
 その口調はまるで子供を嗜める親のようである。あまり悪びれてない様子で返事を返せば、抱き締める腕に力が込められては今度こそ反省の色を浮かべて背中の恋人を振り仰いだ。
「嘘、ごめんね。でもね、雪でも降るのかと思ったら気になっちゃって」
「雪?」
「うん。こんなに寒いでしょ? 初雪なのかなって」
 空を見上げたを追ってディーノの視線も空に向けられる。
 確かにディーノも「雪でも降りそうだ」と思いながら帰ってきたが、闇夜を覆う雲は望む景色を見せてはくれず、冷えた空気だけが冬の気分を味わわせてくれた。
 天気予報でもそんなことは言ってなかったから、初雪はきっともう少し先だろう。とはいえ、その天気予報というのもあまり当てにはならないのだが。
「……あっ」
「ん?」
「これって……雪?」
 子供のように声を跳ね上げたが指差した先は、わずかながらも雪の粒が空に舞うという光景だった。降るというよりは本当に舞うといった様子で、それは儚げに空を漂い、窓枠に落ちると同時にただの雫となって消えてしまった。
 それでも初雪には変わりない。訪れたのは秋の終わりで、冬の始まりだ。
「やっぱり降った。今年の初雪だわ!」
「本当に降ったんだなぁ」
「だから言ったでしょう?」
 妙に勝ち誇ったように笑う顔が寒さで朱の差した頬と相まって幾分も若い印象を植え付ける。楽しげに笑うこの表情は出会った頃と何一つ変わらないものだ。
 満足した様子で空を仰ぐは、それでも寒さに耐え切れなかったのか肩を震わせて小さなくしゃみをこぼした。それを見たディーノが窓を閉めようと提案するが、しかしは首を横に振ってそれを拒否する。
「せっかくなんだから、もう少しだけ。……ね?」
 上目遣いで小首を傾げられたら、ディーノはその提案を喉の奥に引き戻すしかなかった。
 いまだかつてのこの表情に勝てた試しはないし、残念ながら勝てる気もしない。
「しょうがねーな……それじゃあ、」
「?」
 仕方がないと諦めたディーノは、を抱き締めていた腕を解いて一瞬だけ体を離した。密着していた熱は冷気に当たってすぐに冷めるかと思ったが、その隙もなく二人の体は再び密着して熱を伝え合う。
 同時に上半身がすっぽりと暖かいものに包まれては目を丸くした。それがディーノのコートの中に納まったのだと理解すれば、驚きは喜びに変わって温もりに嬉しそうに目が細められる。
「わぁ。ディーノ温かい」
「最初からこうしてればよかったな。あ、頬もすっげー冷たくなってる」
「ふふ、唇も温かい」
 思っていたより冷えていたの体をコートの上から抱き込んで、冷たくなった頬に音を立てて何度もキスを落とせば、くすぐったさにはにかむような笑みがこぼされた。
 あれほどの寒さが嘘のように体も心も温まる。
 はディーノに寄り添うように背中を預けると、キスを贈る彼に甘えるように頬擦りを返した。抱き締める手に己の手を重ねれば、さらに包み込むように大きな手が重ねられる。

「ん、どうした?」
「ううん。なんか、幸せなだけ」

   それは冬を迎える恋人達のひと時。
 雪の欠片が重ねられた手に落ちれば、その熱を受けて惜しむ間もなく溶け消えた。


『種的日常』が三周年を迎え、そのフリー夢だったものを浚ってきました。
素敵です!コートにすっぽりとかトキメキますね!これからも、応援してます!!
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