毒を食らわば皿まで





 甲斐の虎、武田信玄の家臣。虎の若子とも言われる、猛将真田幸村に使える忍、猿飛佐助。
 常に忍として、主を守るため、冷静を保つためか、その飄々とした態度は崩さない。忍としての実力も十分ある。そこらの半端な上忍の敵う相手ではない。
 常に主を守るための鍛錬も欠かさない。だが、佐助は、幸村のように、表立って鍛錬をすることはない。
 それは、常に、影として動く忍であるためか、それとも彼自身の性格のためかは分からない。どちらにしろ、いつも、一人で、誰にも見つからないように、日々、自らの技量を高めているのだ。
 たとえ幸村であろうとも、佐助が鍛錬しているところを見たことはない。探しても見つけられた試しはないのだ。
 と、まあ、ここまでは今現在の猿飛佐助についてだ。彼だって人の子。能力に長けているといっても今よりもまだ、若いころはヘマをすることだってあった。
 しかし、それで命が危うくなったことそれほどはない。しかし、今も尚、失敗だったと思うことが一つだけ…………。





「「お、や、か、た、さ、ばぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」」

 武田の名物になりつつある、幸村の掛け声。それを佐助はいつものように木の上から見ていた。

「いつものことながら、熱いねー」

 これに加え、時たま、信玄も加わる。信玄が加わると、二人して主従の愛を確かめる為の、半ば儀式  儀式だとしても、佐助としてはしたくはないが  が始まる。
 今日は、信玄はいない。しかし、その代りに、幸村と同じように、声を出す少年が一人。
 。武田の家臣の家の嫡男。年の頃は幸村とさほど変わらない。たしか、一つか、二つほど彼が幸村よりも年下だったはずだと、佐助は記憶している。
 毎日、というわけではないが、それでも毎日と言っていいような頻度で、幸村とこうして、叫んでいる。時には、信玄と拳で絆を確かめることもあるし、幸村と手合わせをして、周りをめちゃくちゃにしたりもする。
 は幸村を目標として日々鍛錬をしているのだが、同時に佐助に忍術を教えて欲しいとも言ってくる。
 それもこれも、若き日の佐助自身の油断のせいだ。




 今から数年前。佐助が幸村に付き始めた時。彼は一人で、鍛錬をしていた。
 人が来なさそうな、甲斐の山奥で、誰にも見つからないようにしていたのだ。
 冷静に、いや、あの甘い主を支えるならば、自分が冷徹にならなければいけないと、今以上に技術を磨いていた。
 一通り終え、登っていた木から飛び降りた。

「す……すっげーーーー!!!!!」
「はっ!?」

 急に降って湧いた声に、佐助は反射的に、苦無を取り出し、声の主を捕捉すると、その背後に回り首に刃を当てた。

「おおー!! 本当にすげーな!! 今のどうやるんだ?!」

 苦無を当てられている本人は、動じた様子もなく、逆にその声は弾んでいる。
 佐助は予想もしなかった反応に、がっくりと肩を落とす。もちろん、反応だけに肩を落としたわけではなく、彼の着ている服には武田の将の紋が入っていたのだ。

「誰だか知らないけどさ、急に声出さないでよ。俺様思わず、首掻っ切るところだったじゃん」
「俺、って言います!! 俺を弟子に!!!!」

 といえば、武田の将の一人だ。武士が忍に弟子入りだなんて、聞いたこともない。

「やだよ。俺様は弟子なんかとれる身分じゃないの」
「じゃあ、さっきの技教えてくれ!!」

 断ってみるが、は引かず、目をキラキラさせて教えてくれと言う。その様子は何かの動物のようだと思うと同時に、佐助の主にも似ているように思う。
 これは厄介な人種だ。きっと、幸村と同じ人種。了承するか、無理だと分からせなければ諦めない性格だろう。

「じゃあ…………ここまで飛び上がれたら少し教えてあげるよ」

 佐助は一足で、木の上へ飛び上がる。忍でもない普通の人は、いくら鍛えていても無理な高さだ。
 しかし、それで諦めるではなかったようで、彼は反動をつけて飛び上がろうとしている。

「……無理だよ……諦めたほうがいいよー」
「うぉりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「……マジ……?」

 は飛び上がった。そして、佐助のいる枝まで到達した。
 無論それは、佐助がやったように綺麗な着地などではない。飛び上がったと同時に手を伸ばし、佐助の足元の枝にしがみ付いた。そして、そのままその枝をよじ登ったのだ。
 よじ登ったといっても、その枝まで手の届く高さまで飛び上がったことに、佐助は驚きを隠せなかった。常人でできることではない。
 彼の身体能力はかなりのものだろう。

「さあ、登ったぞ!!! 教えてくれるんだろ!!」

 満面の笑顔で言い放ったをみて、佐助の表情は引きつっていた。
 そして、それから彼はことある毎に、佐助に教えろと迫る。
 一度、彼の両親にそれとなく言ってみた。すると、そのうち飽きるだろうから、それまでやらせておけばいい。という返事を貰ってしまった。一応幸村にも相談してみたが、彼の助言が当てになるはずもない。
 佐助は仕方なく、ある程度、差しさわりの無いことだけ教えるようにしていた。
 しかし、は中々、忍術については才能があるようで、ある程度までは出来るようになっていた。しかし、忍びは影で、時には汚いことをする者だ。それを武田の将の嫡男にさせるわけにはいかない。
 いかない、とは思うのだが、彼は一向にやめようとはしない。





「佐助!! 今日は何を教えてくれる?」
「はいはい。じゃあ……房術でもやってみる?」

 よくぞ飽きないものだと、佐助自身が呆れながら、冗談半分に言ってみた。
 房術など、教える気なんてない。しかも、男がこれを使うことはそうそうあるものではない。房術といえば、その大半はくのいちが使う技だ。

「佐助、佐助、房術とはなんだ?」

 よりも、隣にいた幸村が反応した。
 教えれば、多分佐助が予想する通りの反応をしてくれるに違いない。まあ、いいか、と佐助は幸村に耳打ちをする。
 最初、大人しくしていたが、段々と顔が赤くなる。

「は……破廉恥でござるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!!!!」

 幸村は真っ赤な顔をして、どこかに行ってしまった。
 佐助は、やれやれと主を見送った。残るは、だ。彼の正確は幸村に似てはいるが、彼のように純情ではない。

「さて、五月蝿い旦那もいなくなったし、房術を手取り足取り教えてあげようか」

 からかうつもりで、ニヤリと笑い、佐助はに向き直った。
 いつもよりも、若干距離を近くする。いや、近いってもんじゃない。

「本当か!! よし、やろう!!」

 目をキラキラと輝かせるをみて、佐助はがっくりとうな垂れた。
 通じない……。には、幸村にしたような手が全く通じない。幸村であれば、今の段階できっと、破廉恥だと騒ぎながら、去っていっただろう。だが、逆にキラキラと純真無垢な瞳で見つめられたら、こちらは脱力するしかない。

「……房術はまた今度。今日は、擬声の練習ね」

 結局こうなるのだ。なんだかんだでに勝てた試しがない。
 こちらとしては、酸いも甘いも噛分けた、百戦錬磨な忍なはずなのだが……。

「佐助ー!! 早く!!!」

「はいはい……」

 楽しそうにするをみると、怒る気にもならない。出来れば、彼には、あの明るいままの性格で居て欲しい。
 殺伐とした戦国の世だからこそ、佐助はそんなことを願わずには居られなかった。

終り 戻る

卯月 静 (09/02/18)