この世にあるのは、必然のみ





「遅いっ!」

 その時、池袋駅にいた者は、信じられないモノを見た。
 先ほどの言葉を発したのは、小柄な女性。年の頃は、二十歳になるかならないかといったところだろう。
 言った言葉に何か問題があるか、といえば、何も問題はない。待ち合わせに遅れた相手への文句としては、極平凡なものだ。
 問題は、言った相手。
 言われたのは、金髪にサングラス、そして、バーテン服の男。池袋で、このフレーズで、思いつく人間はただ一人。
 平和島静雄。池袋最強と呼ばれる男。短気な上、自販機を投げ飛ばせるという、嘘みたいなことを本当にやってのける人物だ。池袋で、穏やかに過ごそうと思うなら、絶対に喧嘩を売ってはいけない人間だ。
 たとえそれが、総理大臣でも、怪物であっても、だ。
 しかし、あの女性は、その喧嘩を売ってはいけない人間に、まるで、喧嘩を売っているような言い方をした。
 周りに居た人々は、これから繰り広げられる惨事を想像し、青くなる。
 どうみても、目の前の女性は、静雄に勝てるようには思えない。
 それこそ、文字通り、一ひねりだろう。
 だが、皆自分が可愛い。これが、ただのチンピラであれば、助ける者が現われたかもしれないが、相手が静雄では、自殺行為に等しい。いや、自殺行為だ。
 しかし、その予想に反し、耳を疑うような、言葉が聞こえた。

「あー。悪ぃ……」

 あの、平和島静雄が、謝った?!
 あの、短気な静雄が、謝った?!
 それだけでも、人々には、驚くべきことであったのに、三度驚くことになる。

「ご飯食べようって、言ったのお兄ちゃんなのにさぁ」
「だから、悪かったって言っただろ」
「私、お寿司食べたい」
「分かった、分かった。詫びに、好きなモン食っていいから」
「やった!」

 兄妹であれば、先ほどの会話も納得………………できるわけがない。
 まさか、あの平和島静雄に、妹がいるとは知らなかった。しかも、その妹に対し、短気な、静雄はキレなかった。
 やはり、身内だからだろうか。
 静雄の妹は、小柄で、可愛かったなと、その場を見てたものは、思った。が、兄はあの静雄だ。
 手を出して、生きて帰れる保証はない。というか、生きて帰れたら英雄だ。

「見なかったことにしよう」

 誰が呟いたのか、わからない。しかし、その場にいた者達は、誰が呟いたか分からない言葉に、賛同した。
 己の穏やかな、生活の為に。




 池袋駅にいた人々に衝撃を与えた静雄の妹の名は、。兄とは違い、小柄で、とても兄妹には、見えないが、それは、二人をよく見てないからの話であり、よく知る人物からみれば、その容姿は、兄妹だと分かるだろう。

「美味しかったー。サイモンさんとこの寿司はやっぱり、美味しいよね」

 嬉しそうに言うをみて、静雄の表情も嬉しそうだ。
 喧嘩をしている姿しか見てない人々からすれば、その様子は、衝撃的なものだろう。
 喧嘩してないどころか、隣に女性を連れているのだから。
 そんな人々を尻目に、二人は、池袋の街中を歩く。
 そして、静雄が通れば、モーゼの十戒のごとく人々が道をあけるから、人ごみだろうと関係ない。

「本当、似てないよねえ」

 人ごみでなかったからか、それとも、それ以外が原因か、その声はやけに響いた。
 静雄との足が止まる。
 が、振り返った二人の反応は全く違っていた。

「池袋には、来るなって、俺はさんざん言ってなかったけかー? いーざーやーぁ」

 静雄は、額に青筋を浮かべ、まるで、鬼神その物だ。

「あ、臨也さん! お久しぶりです」

 はというと、静雄の後ろから笑顔で、臨也に挨拶をする。
 静雄と、臨也の仲が悪いことを知らないはずはないのだが、それでも、にとっては、別に嫌いな相手ではないらしい。

ちゃん、久しぶり」

 臨也は、静雄のことは、存在していないとでも言うかのように、完全無視し、に話掛ける。
 もちろん、その行為は、静雄の怒りに油どころか、ガソリンを注ぐようなもので……。

に……」

 バキリという音と供に、静雄は、近くにあった、進入禁止の標識を引きちぎる。

「話掛けてんじゃねえぇぇ―――――――――ッ!!」

 そして、槍投げの選手よろしく、臨也に向かって投げつける。
 が、それは臨也にあっさり避けられる。

「やだなー。別にシズちゃんに会いにきたわけじゃないよ。自意識過剰なんじゃない」

 相変わらず静雄の神経を逆撫でする表情と、言葉。加えて言えば、大切な妹に話しかけていることが気に入らない。

「なら……」

 続いて、静雄は、そばにあった、ガードレールを引きちぎり、

「とっとと、この世から消えやがれぇぇ――――ッ!!」

 臨也に向かって、薙ぐ。
 当の臨也といえば、それをあっさり、避け、涼しい顔をしている。

「あーあ。そんな物振り回したら危ないじゃん。ねえ、ちゃん」
「え?!」

 兄との喧嘩は見慣れており、喧嘩中は、こちらに会話を振られると思ってなかったから、は、とっさに、返事できなかった。

に、話掛けてんじゃねえぇぇ―――――ッ!!」

 静雄は、ガードレールを振り上げ、臨也向かって、振り下ろす。
 もはや、普通の喧嘩ではない。そもそも、静雄と臨也が出会って、普通の喧嘩になるはずがない。

ちゃんの前だから、流血沙汰にするのは、まずいかなって、俺はナイフだしてないのに。シズちゃんは容赦ないよね」

 静雄がガードレールを振り回す度、臨也との距離は詰る。が、同時に、後ろにいたとの距離は開く。頭に完全に血が上ってしまっている静雄は、そのことには気づいていない。

「死ねッ!」

 静雄の一撃を避け、彼の後ろに回る。正確には、静雄の後ろにいた、の隣に立つ。
 振り返った静雄が、臨也目掛け、持っていたガードレールを投げるべく振りかぶった。

「いいの? それ投げちゃったら、ちゃんに当たるよ?」

 が、投げられず、動きが止まる。臨也目掛けて投げれば、確実に、にまであたるのだ。

「ま、僕の大好きなちゃんに怪我でもされたら、嫌だから、ちゃんは俺が助けるけどさ」

 臨也は、ポンッとの両肩に両手を置く。
 は、目を丸くし、混乱している。

「え? 臨也さん?」
に、話しかけんなって、言ったよなぁー。いーざーやーぁ!」
「だから、投げたら……ッ!!」

 てっきり、静雄はガードレールを投げてくると思っていたが、その予想と反し、臨也と、の間スレスレに振り下ろした。本当にスレスレというよりも、臨也がいた場所に振り下ろしたのだ。
 だから、には当たらないし、臨也が避けなければ、臨也には確実に当たっている。
 臨也は間一髪で、から手を放し、なんとか避けた。

「本当にシズちゃんって、予想を裏切ってくれるよね」

 先ほどまで、余裕綽綽だった臨也にうっすらと冷や汗が出ている。

「まあ、いいや、今日はこのくらいで。ちゃん」
「は、はい?」
「さっき言ったのは、本心だよ。だから、ちゃんは僕を好きになるべきなんだよ」

 そういうと、の手を引き、自分に近づける。
 の頬には、何が当たる感触がした。

「っ?!」
「なっ!! 殺す、今すぐ、殺す。ぜってー殺す。跡形もなく殺す」
「じゃあねー。ちゃん、今度新宿においで、今の続き、教えてあげるから」

 そういうと、脱兎のごとく、去って行った。

「今度あったら、ぶち殺してやる!! !! 大丈夫か?」

 本当なら、追いかけていくが、今は、妹の安全を確認するのが先だ。
「え、あ、うん」

 静雄が、を見ると、は真っ赤な顔をしていた。
 その瞬間、一瞬ではあるが、静雄が複雑な心境になったのは言うまでもない。


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卯月 静(10/06/22)