Edo Side Story

【16】 思い出と仮病





 屯所から万事屋へ帰る道の間、は先ほどの男のことを考えていた。
 ポツリポツリと雨が降って来たが、まだ傘を差すほどではないし、考え事をしている為に、そのまま歩く。
 先ほどの男はを知っている様子だった。そして、直感的に自分も知っているのだと感じた。
 最後のあの優しい声と、優しい手。あれを自分は知っている。それも酷く懐かしく思えた。
 あの男は誰なのだろうか……。
 最初こそ恐怖心があったが、次第にそれも無くなっていた。
 知らないはずの男なのに、酷く自分に近しい人のように思えた。
 は先ほどの男の最後の言葉を思い出す。

『……、置いていって悪かったな……』

 ふぅっと懐かしい記憶、いや、心の奥底に眠っていた記憶が浮き上がってきた。

、手前ェは相変わらずお転婆だな。嫁の貰い手がなくなるぞ』
『いいもん。そしたらずっと兄さまと一緒にいるもん』

「……あ……」

 幼い自分に笑いかける少年。
 間違いなくあの少年が彼だ。

「……そんな……」

 幼い頃の記憶を引き金に、次々と思い出される。
 自分が誰であるのか、わかってしまい、はその場に立ち止まった。
 雨は既に本格的に降り出したが、の頭の中は取り戻した事実でいっぱいでそれどころではない。

「……どう……して……」

 はフラフラとした足取りで、万事屋に向かう。
 本人は万事屋に向かっている意識はないだろう。ただ、足がそちらへ向くだけ。
 玄関のチャイムを鳴らす。

「はいはい。って、お前ずぶ濡れじゃねえかっ!?」

 出てきた銀時は、傘も差さず、濡れて帰ったを見て声を上げた。

「おい、傘はどーした、傘は」
「“銀ちゃん”……私……」
「っ?! 、お前ぇ……とりあえず中に入れ、そのままじゃ風邪を引く」

 濡れたままでは風邪を引いてしまうからと、銀時はを家に入れる。
 風呂に入ってこいと促されるまま風呂に入ってくる。

「ったく、傘くらい差して帰ってこいよな」
「うん……」

 風呂から出てきても、は落ち込んだままだった。

「今日……兄さまにあったの……」
「……そうか……」
「……銀ちゃんが、本当の兄だったらよかったのに……」

 は胸元の指輪を握り締める。
 今にも壊れてしまいそうなを銀時は安心されるように抱きしめる。

「記憶なんて、戻らなければよかったのにっ!!」
……」
「何も知らないままなら、ずっと幸せでいられたのにっ!!」

 は涙を流しながら、言葉を吐く。

「何も、思い出さなければ……あの人の傍にいられたのにっ……」

 過激派攘夷浪士、高杉晋介の妹では、真選組副長、土方十四郎の隣にはいられない……。




「ああ……そうか、今日は良く休むんだ……そんなに謝らなくてもいい…………ああ、じゃあお大事に」

 近藤はカシャンと受話器を置いた。

「近藤さん、誰かから電話か?」
ちゃんが休むらしい」
「休み?」

 が休むなんて珍しいと思った。
 彼女はそう滅多なことでは休まない。少しくらいの体調の不調であれば、普通に来る。
 そして、隊士達に諭され屯所で大人しくしていることになる。こんなことはよくあった。

「昨日、傘を差さずに走って帰ったらしい。そしたら風邪を引いてしまったんだと」

 昨日はドシャ降りだった。
 高杉の探索をしていたが、結局見つからず、あの雨では見つけるのも難しくなるだろうと途中で切り上げた。
 が帰る頃は一旦止んでいたから、傘の心配をしなかったし、送らなくてもいいというから、そのまま帰らせたが、やはり、送っていくべきだった。

「……心配か?」

 近藤はニヤニヤと笑って土方を見ている。
 心配かと聞かれれば答えは是だ。心配に決まっている。本当なら仕事を放って様子を見に行きたいが、そうするわけにもいかない。
 一応銀時がいるから、の看病はなんとかなるだろう。あの銀時に病人の看病ができるとは思えないが、万事屋には新八がいる。彼なら看病を任せても大丈夫だろう。
 仕事がひと段落つけば、近藤さんに言って少し休憩をもらって、その時間に見舞いにでも行くことにした。




……いいんだな?」

 尋ねた銀時に、は黙って頷いた。

「……分かった」

 やるせない気持ちになりながら、銀時はの頭を撫でていた。
 ピンポーン。
 客が来たらしい。銀時はを残し、玄関に向かう。

「はいはーい。今日は休みですよーってテメェかよ」

 開けた向こう側にいたのは見舞いにきた土方。
 こんな時によりにもよって、一番に会わせたくないヤツが来た。
 まだ来るなら、近藤や沖田の方がマシだった。

「見舞いだ。着ちゃ悪いかよ」
「別に。てか今寝てっから、見舞い品置いて帰れや」
「一目くらい会わせろよ」
「誰がテメエにの寝顔なんてみせっかよ。それに、今お前がに会ったら風邪移すかも知れないからってがいらねー心配するだろうが」

 言われて土方は納得した。のことだ、風邪の時に見舞いに来たとなれば、移すかもしれないから、と言って追い出すに違いない。
 かといって、押し切って無理矢理会っても土方が風邪を自分から貰ってないかと心配するかもしれない。

「わーったよ。ホラ、これに渡しとけ。テメエで食うんじゃねーぞ」

 渋々土方は銀時に持っていた果物籠を渡して、万事屋を去った。

「あれでよかったんだよな」
「うん。ありがとう」

 玄関の会話は全てに聞こえていた。別に彼女は寝ていたわけではない。更に言えば、風邪ですらない。
 今日は真選組の皆と、特に土方とどんな顔をして会えばいいか分からない。多分いつものようには振舞えない。だから、休むことにした。仮病を使って休むことに多少の罪悪感は感じるが、それ以上に土方に会うのが辛いのだ。

「もう……傍には居られないもの。だから……土方さんとも……」

 ポツリと呟いたの声は、思ったよりも万事屋に響いた。


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卯月 静 (08/08/26)