「ククク……そうですか……それは残念……」
光秀がゆらりと動く。
「ですが……せっかくここまで来たのですから……愉しませて下さいよ……」
光秀の周りを、暗く冷たい空気が覆う。
「小太郎、を安全な所へ」
「嫌です」
「?」
「私も、長宗我部軍の一員です」
どうも、の意志は固いらしく、説得するのは無理そうだ。
元親は、の頭にポンと手を置く。
「後方支援は任せたぜ」
「はいっ!」
元親の言葉に、は顔を綻ばす。
の武器は弓。長距離の武器だから、は、少し下がる。
そして、矢を番え、弓を引く。
「鬼の味は、一体どのようなものでしょうかね……ククク」
「腹ァ、壊すぜ」
元親のその言葉が合図だったかのように、光秀は、元親の背後に回った。
足音はしない。不気味な気配が、自分の背後に移ったことを、元親は感じた。
「おや、おしい、もう少しだったのですが」
光秀の鎌が、元親の胴を切り落とそうとした、しかし、元親は、前方に宙返りをすることで、避ける。
「不気味な野郎だぜ」
光秀は、そのまま前にいる元親に切りかかる。
碇槍で、鎌を防ぐ。ガチンッという金属同士がぶつかる音が、響いた。
「っ?! っとにやり難れえヤツだな」
「鬼の血も、紅いのでしょうかね……ククク」
気配は感じるが、光秀の攻撃は影のように忍び寄る。それは、気配を消し、暗躍するための忍の戦い方ともまた違う。
不気味な塊が、そのまま音も無く、襲ってくるような感覚。
「さぁ…………その、血を、奇麗に咲かせてください……」
片方の鎌の力が弱くなったと思うと、同時に逆側の鎌の感覚が無くなった。
そして、その鎌は元親の肩を抉る。
「ぐっ!!」
「元親様っ!」
元親の肩から、紅い血が散る。
は矢を下ろし、元親に近寄ろうとするが、小太郎に腕を掴まれ、止められる。
「小太郎、放して!」
小太郎は、首を横に振り、掴んだ手を緩める気配はない。
「やはり、鬼の血も、紅いのですね……」
光秀の鎌からは紅い血が垂れている。何がそんなに嬉しいのか、光秀の声は愉しそうで、その表情もどこか恍惚としている。
「……ああ、愉しい……もっと、もっと、殺り合いましょう」
心底愉しんでいる光秀の姿は、狂気以外の何物でもない。
元親は、腰に巻いてあった布で肩の傷を縛る。布は血を吸い、紅く滲む。止血にすらならないかもしれないが、何もしないよりもましだろう。
「もっと、私を愉しませてください、西海の鬼」
「もう、のことはいいのか」
光秀は、もうに興味はなくなったかのように、今は殺し合いをすることしか考えていないようだった。
「いいえ。ですが、見たくなったのですよ。鬼の血が紅いのなら、巫女姫の血もやはり紅いのか」
「手前ぇ……」
元親は、碇槍を握る手に力をこめる。
「ククク……興味ありませんか? 不思議な力をもった巫女姫の血も、何の力を持たない者と同じように紅いのか」
こうも言われて、頭にこないはずはない。
には、指一本たりとも、触れさせるつもりはない。
「そいつァ、手前えが見ることはないだろうよ」
元親は、碇槍を光秀目掛け、振り下ろす。光秀は、それを避けるが、避けた場目掛け、更にたたみ掛ける。
振り下ろし、横になぎ、下から掬い上げる。反撃をする間を与えず、繰り出す。
始めは避けていた光秀も、段々と避けることが間に合わなくなり、服に掠り、肌に掠り、そして、直撃を食らう。
「……ああ……痛い……痛いですね……」
光秀は、フラフラと立つ。受けた衝撃はかなりのもの。並の者なら、既に地に伏しているところだろう。
まだ立っていられるというあたり、やはり、だてに織田の将をしてたわけではないのだろう。
普段、アニキと部下に慕われている元親が、何故、西海の鬼と言われるか。常の彼からは、鬼などという、ものとはかけ離れている。
部下思いで、領民思い。誰からも慕われる理由が分かる。たしかに、武勇には優れているが、それだけで鬼と言われるとは思えない。彼が自称しているせいかとも思うが、鬼を自称するには、それなりの実力がいる。
は今まで、元親の戦いを見てきた。確かに、力強く、華やかで、それは敵を圧倒するが、鬼という言葉の持つものとは、少し違うように感じていた。
しかし、今なら、分かる。
先ほどの、元親の攻撃は容赦がなかった。的確に、相手の急所を、突き、尚且つ、力は最大限。それを隙も作らさずに繰り返す。
その表情は、普段の彼からは想像できないほど鋭いもので、四国の民を護るだけでいいといった、元就に言わせれば甘いとも言われる考えをもつ人物とは到底思えない。
「黄泉への旅路は、これからだぜ」
元親の碇槍から、焔が浮かぶ。
そして、再び、光秀に攻撃を仕掛ける。もうすでに、先ほどの攻撃で、防ぐ力は光秀に殆ど残っていない。
焔をまとった碇槍を、光秀に向かって、薙ぎ、振り下ろし、掬いあげる。
「喰らいてえなら、地獄の鬼でも喰らってな」
光秀に向かって、全ての力を込めて、元親は碇槍を振り下ろした。
地に伝わった衝撃は、まるで、空から岩が落ちてきた時のようだった。
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卯月 静 (09/09/24)