【戦国御伽草紙】雪国のかぐや姫 伍拾弐
政宗の怪我も回復し、いつもの毎日が城に戻って来たかに思われた。 だが、怪我が回復しても一向に記憶は戻らなかった。 記憶がないといっても、全てが無くなったわけではない。たった一つのことだけ記憶がない。 日常生活にも執務にも差し障りはないのだが、についてだけ何も記憶がなかった。 正確に言えば、と出会う前の、一揆制圧以後の記憶がないのだ。 「殿ー。本当にちゃんのこと覚えてないの?」 「毎日毎日、うるせえな、覚えてねぇえもんは覚えてねえんだよっ」 政宗がについての記憶がないということは、城に幾ばくかの衝撃を与えた。 「殿、もう一回頭打てば思い出すかも!!」 成実や小十郎はもちろんのこと、喜多や猫、果ては伊達の末端の部下達まで本当に覚えていないのかと聞く始末。 その中でも、成実はしつこく、今日も記憶を取り戻そうと政宗に付きまとっている。 そして、先ほどの言葉を実行すべく、成実は政宗の頭に向かって文鎮を振り下ろす。 「何すんだ、手前ぇ!」 そこは、大人しくやられる政宗でもないので、上手く交わし、成実の頭を拳で殴る。 「ってー!」 「ったく、一揆の姫だか知らねえが、たかが、女一人のこと忘れたくらいで何も変わりはしねえだろ」 「殿……それ、本気で言ってる?」 「あ? だったらなんだ?」 成実と政宗の間に剣呑な空気が流れる。 カタンッ。 物音がし、二人はそちらへ振り向く。 「ちゃん……今の聞いて……」 「あれ? 成実もいたんだ。お菓子政宗様のしか用意してこなかったよ。言ってくれれば成実のも用意したのに」 お茶と茶菓子の乗った盆を持ち、何食わぬ顔で部屋に入ってくる。 先ほどの会話は聞こえなかったのだろうか……。 「ちゃん。さっきの聞こえた?」 「さっきのって?」 「……俺と殿の会話……」 「何も聞こえなかったけど。ひょっとして私の悪口いってたとか!?」 「聞こえてなかったならいいよ。ちゃんの悪口言ってたわけでもないから安心して」 会話は聞こえていなかったことに成実はほっと息を吐く。 「こちらは政宗様の分です。成実のはすぐ持ってくるからちょっと待っててね」 政宗の前に湯のみと菓子を置き、は部屋を出て行った。 直ぐに成実の分を持って来て、はそのまま部屋を出ようとする。 「ちゃんも一緒にてぃーたいむ、しないの?」 「あーごめん。小十郎さんに呼ばれてるから、また後でね」 は成実の分だけしか持ってこず、そのまま部屋を出て行った。 今までは政宗のところには常に二人分用意されていた。成実が政宗のところにいるときは、追加で一人分持って来て、三人で過ごしていたのに…………。 政宗が覚えていないのなら、呼び捨てにするのはいけないだろうと自身が言ったために、は「政宗様」と呼ぶようになった。 が「政宗様」と呼びまるで他の女中達と同じように接し、三人でお茶をしなくなったことに、成実はどうもやりきれない思いが溜まっていった。 「やっぱ、言われるとキツイなぁ……」 は小十郎の畑の隅にうずくまる。 ここには小十郎以外入ってくることはない。 彼は黙々と畑の手入れをしている。がいることは知っているが、あえて何も言わないでそっとしておいてくれているのだ。 がうずくまっている土は、雨も降っていないのに湿っていた……。 次へ 戻る 卯月 静 (07/12/15) |