【戦国御伽草紙】雪国のかぐや姫 伍拾伍
室内は静かで、紙の擦れる音と、筆を走らせる音だけが響く。 部屋の主は不在だが、今日中に終わらせてしまわないと困るため、小十郎が代役をしていた。 本来なら政宗のする仕事だが、これは小十郎がやってしまっても支障はない。あとで、目を通してもらえばよいのだ。 どうしても政宗でなければならない仕事には手をつけず、後で閉じ込めてでもやってもらう。 そろそろ縄付けてでも仕事をしてもらわないといけない、と考え始めていると、そこにが入ってきた。 表情は酷く暗い。また、政宗が余計なことをいったのだろう。 政宗がについての記憶だけなくしてから、政宗のに対する態度は急変した。忘れてしまっているのだから、仕方ないとは思う、が、これではが見てられない。 彼女は誰かに見られない所で泣いているのだから。 「政宗は今夜もいつものところに行くそうです。帰るのは、明日の朝だって……」 「……そうか……」 政宗がどこに通っているのか、知ってるのは小十郎だけではない。もちろんだって気づいている。 無理も無い。一晩戻ってこなかったと思えば、翌朝白粉や香の香りの纏って帰ってくるのだから気づかない方が可笑しい。 だが、は気づかない振りをした。言いたいことは山ほどあるに違いないのに、自分は何も知らないことにした。 あまつさえ、自分のことを忘れているのだから、仕方ないと、泣きそうな笑顔で答えた。 城の者はが無理に笑っていることを知っている。だが、それに触れるとが壊れてしまうのではと思い、誰もそのことには触れない。影で泣いていることも知っているが、本人が知られたくないと知っているから、知らない振りをする。 記憶がなくなってから、政宗の雰囲気が以前のようなものに戻ったと小十郎は感じていた。 支えがなく、立ち止まることを恐れ、ただ進むだけの以前の政宗に。 コレばかりは小十郎にはどうすることもできない。 全てを話し、諭したところで、何が変わるわけでもない。 「」 「ん?」 「ツライなら城を出るか?」 政宗と顔を合わすのがつらいなら、城を出て、ゆっくり暮らせばいい。 家の手配も、生活の保障も心配する必要もない。 「……まだ、大丈夫です。もう少しだけ傍に居たいし」 どれだけ傷つけば大丈夫じゃないというのだろうか、今でも限界ギリギリだろうに……。 小十郎にとって、最優先させるものは政宗だ。それは今までも、そしてこれからも変わらない。 だが、この自分の妹のようにさえ感じるこの娘にもできるだけのことはしてやりたいとも思うのだ。 自室に戻って、は小十郎の言葉を思い出していた。 『城を出るか?』 それを言われるのは2回目。 政宗が記憶を失った後、暫く経って言われた。 家の手配も、生活に関しても、不自由のないように取り計らうと言ってくれた。 正直その方が楽だとは思う。それでも、できるだけ傍に居たかった。 自分の我侭だとは分かっているのだが、今城を出たら、もう戻っては来れないだろう。 忘れたのなら、もう一度惚れさせる! などという強気な発言が出来るほど自分は強くはない。 そりゃあ、もう一度好きになってくれれば、とは思う。 そう期待する自分が居るから、離れることが出来ないのだ。 だが、その期待もそろそろ薄いのかもしれない。政宗がほぼ毎日女性の元に通っているのを知っている。 一夫多妻制のこの時代だし、英雄色を好むというくらいだから、別に悪いことではないだろう。今のにはヤキモチを焼く立場ですらないのだし。 だが、結構それがキツイのだ。朝、白粉や香の匂いをさせて帰ってくる政宗をみるのは。 「自分がこれほど恋愛で悩むとは思わなかった……」 いっそ、政宗のことを嫌いになれたらどんなに楽だろうか……。 次へ 戻る 卯月 静 (07/12/25) |