【戦国御伽草紙】

雪国のかぐや姫 七拾参





 の姿を見た時、初めは頭が真っ白になって、何が起こったのか分からなかった。
 次に、全身の血が沸騰しているような感覚に襲われた。

「手前ぇ……何してやがる」

 普段戦場で、敵を威嚇する時には、殺気を混ぜて、低い声で凄むが、今政宗が出した声はそれの比ではない。
 それこそ、竜が唸る声のように、低く冷たい。
 政宗の殺気や闘気になれているはずの小十郎や、幸村でさえ背筋に冷たいものが走った。

「そいつを、放しやがれ」
「それは出来ないよ。姫は僕達の元に招待するのだからね」

 政宗の殺気も物ともせず、男は穏やかに言った。
 は男の腕の中で気を失っている。顔が少し青白い。腕を負傷しているから、貧血か何かでも起こしているのかもしれない。

「駄目だよ。それ以上近寄ると、彼女の命は保証できない」

 政宗が一歩踏み出そうとすれば、男は、の首元に刃物を当てる。
 今すぐにでも、彼女を自分の腕の中に取り戻し、目の前の男を叩き切ってやりたい。
 男を睨み、知らずに握っていた拳に更に力を込める。強く握り締めた拳からは、血が流れていたが、今の政宗はそれには気づかない。

「そいつに何かしてみろ。生きて逃げ切れると思うなよ」
「彼女を殺せば、君は僕を殺すだろうね。でも、そうなれば、僕を殺したところで彼女は戻らない。幾ら僕に凄んで見せても、君はそこで見てるしかないんだよ。彼女を失いたくはないだろう?」

 あれだけの政宗の殺気を浴びながら、男は怯んだ様子はない。
 奥州の竜の恐ろしさを知らないのか、それとも彼に相当な実力があるのか。

「張ったりだとでも思うかい? だけど、僕はさっき彼女に切りつけた。彼女を殺めることに何も抵抗はない」

 男の言葉は嘘ではないだろう。この男は本気だ。
 政宗が彼に切りかかろうものなら、男はの体に刃を突き刺すだろう。

「僕には時間もないし、彼女の治療も必要だ。そろそろ帰らせてもらうよ」
「そいつを連れていくつもりか」
「言っただろう。彼女を僕達のもとに招待すると。……そうだね、奥州が僕等に下るというなら、彼女は君に返してあげてもいいよ」
「なんだと……」
「国か女か。君にとってどちらが大切だい」
「手前ぇ……何者だ」

 政宗の最後の質問には答えず、男はを抱いたまま姿を消した。




 武田の城に戻る間、誰も声を発しなかった。
 押し黙っている政宗にかける言葉がない、と言うのもあるが、各々が自分の不甲斐なさを悔やんでいた。
 彼らは誰もが腕に覚えのある者で、多くの死線を越えてきたからこそ今この場に立っているはずなのだ。
 油断していたというのは言い訳にもならない。
 あっさりと彼女を奪われてしまった。

「政宗様……」

 あれから、部屋に篭りっきりの政宗に小十郎は声をかける。
 事情を聞いた信玄は、暫くまだここに居てもよいと申し出てくれた。
 甲斐で起こったことだ、ここに留まっていた方が情報を集めやすい。

「……今、俺に話かけるな。いくら、お前といえど、今の俺は何をするかわからねえ……」

 あの時から、政宗は自分の殺気を隠そうともしない。
 確かに政宗は怒っている。それはあの男に対してというのもあるが、何より、何もできず、あっさりとが連れて行かれるのを見ているしかできなかった自分に対してだ。
 今までだって、何度も、彼女と自分は離れ離れになった。しかし、今回は今までとは違う。
 今までは彼女が戻ろうと思えば戻れたし、彼女が自分の意思で政宗のもとに戻って来た。だが、今回彼女自身が戻ろうと思っても戻ることは出来ないだろう。

「政宗様、小十郎様。あの者について分かったことが少し……」
「……話せ」

 猫の報告に、政宗の瞳が鈍く光った。
 


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卯月 静 (08/04/08)